二浪の狭間にいる男の黒歴史

誰かが考えたことです。これが正しいとも、みんなもこうするべきだとかも一切無いです。でも、本当に思ったことです。

誠との会話

 先日、中高の親友の誠と会ってきました。その時の会話から思ったことです。

 僕はガッキー(新垣結衣さん)が大好きです。だからガッキーって「可愛いよね」って話をしました。すると、誠は「別に可愛くない」って言うんですよ。その後長い会話があったんですがその時に誠はこんなことを言ったんです。
 
 「お前を含めた大勢はガッキー、新垣結衣という記号を消費しているだけだ。」と。

 割と典型的と言うか、“そういうことを言う人は居るな~“と言った感じですよね。この様な主張はいろんなものに応用できて、世の中の人が無批判に信じている、実は検討の余地があるのにある種、定義で絶対的な尺度の様に扱われ、思われていることに一石を投じる時などに良く使われている気がします。

 僕は、政治的、学問的な領域ではこの様に思慮深くあるべきだし、無批判であってはならないと思います。

 でも自分は、<誰誰が好きだ>とか<誰誰が可愛い>とか<誰誰が面白い>とか、どう抽象化すればいいかわからないけど、より感覚的?なものについては、一度立ち止まり、構造について考察する思考よりも、第一印象、自分の第六感?みたいなものを大切に生きたいな。

 時には、時の潮流に流されず我が道を行くことも大切だけど、迎合してはじめて見えるものもあるからね。ずっと外から見て、潮流をやすいものの様に扱うのも、無批判にずっと迎合し続けることもどちらも好ましくはなくて、そのバランスを探り続けるしかないんだろう。
 
 でも、潮流に乗ると楽だし結構楽しいよね。“自分”を持ちながらも、みんなと楽しさを共有出来る人間でありたいな。